大腸がんの私が、親の最期を看取るまで。現実を受け入れる旅

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がんと介護の現実、タイトル画像

アラフィフ世代にとって、親の介護は避けて通れない課題です。それは分かっていましたが、 まさか、そこに自分の「がん闘病」が重なるとは、、、人生は分からないものです。

この記事は、かつて体力自慢だったわたしが、がんによって「ほぼ何もできない私」になりつつ、必死に親の最期に向き合った記録です。

もし今、あなたが、同じようにがんと向き合いながら介護をされているなら、この記録を読んでみてください。偉そうなアドバイスなんて何もできませんけど、同じように苦労してる人もいるんだなと、少しは心が軽くなるかもしれません。

目次

がんになる前、自転車で介護に向かう日々

がんになって足が動かなくなる前まで、わたしは横浜の自宅から藤沢の実家まで、片道17kmの道のりを自転車で通っていました。

所要時間は約50分。

当時の私には「体力づくりと介護が両立できる」と嬉々として通っていました。何より交通費(ガソリン代、駐車場代、電車代など)がかかりませんから、気軽に足を運ぶことができました。

愛用している30リットルのリュックは、買い物サポートだけでなく、必要とあらば掃除機や小型テレビ、折りたたみ台車まで詰め込んで運んでました。

掃除機を詰め込んだリュックと自転車
ダイソン運搬中、藤沢の遊行寺にて
筆者

今日も喜んでくれるかな

介護ベッドから車椅子への移乗で腰を痛めながらも、親孝行できている生活に少なからず充実感を感じていました。

がんの告知で介護が出来なくなった

2025年の3月末、これまでの充実した日々が音を立てて崩れました。私自身に、大腸がんが見つかってそのまま入院となってしまいました。

同日、父も具合が悪くて入院したのに何もできず・・・

入院していた病室のベッド
大腸がんで緊急入院になった

介護する側から、治療を受ける側へ。 病院のベッドで天井を見つめながら、親の心配と、自分の命の心配が入り混じる時間を過ごしました。

余命半年と告知されたときには、

筆者

もう会えないのか?

と突然の別れを告げられたような気がして、この先どうなるのかと本当に不安でした。

副作用との闘い。「10分」が果てしなく遠い現実

幸いにも抗がん剤治療を経て、無事に退院できましたが、以前のようには身体が動きませんでした。

なぜか右足が思うように動かない、、、自転車はあきらめました。仕方ないので電車で向かいますが、駅までの坂道や階段が、当時の私には壁のよう。5mの坂道がきつかった・・・。

私の入院と同時に、父も入院したので、もう「介護」ではなく「面会」です。

父の病院までは、最寄り駅を降りて徒歩10分。平坦な道ですが、これがきつい・・・。足が思い通りに動かない私には、徒歩10分+休憩10分(図書館のベンチ)+徒歩10分、合計で30分くらいかかってました。

これまで交通費ゼロだったので、電車賃+タクシー代(往復)は痛すぎます。なのでリハビリも兼ねて歩いてました。

そしてその日はやってきました

父親にお見舞いに来ている男性のイラスト画像

いつも通りに面会に向かったある日、私は父の異変を感じ取りました。頬が急にこけ、数日前とは明らかに違う苦しそうな表情。医学的な知識がなくても、直感的に「その時」が近いことを悟りました。

その予感は、悲しいことに的中。最後の面会から2日後、容態が急変。私が駆けつけた時には、父はすでに旅立っていました。

筆者

何もできなかった、、、、

しばらく凹みましたね。でも、今は「隣にいたことが、父への一番の貢献だった」と信じています。

今、辛い思いをしているあなたへ

もし、あなたも同じようにがんと介護に向き合っているなら、まずは、思うように動けない自分を否定せずに受け入れてください。

そして公的なサポートに助けを求めてください。お住いの市役所に相談してください。介護認定の手続きをして、受けられるサポートをフルに受けてください。

しんどいとは思いますが、医師や看護師、ケアマネジャーなどいろんな方に相談してサポートを受けてください。一人で抱え込むのだけはダメですよ。わたしも陰ながら応援しています。

医師と談笑している患者のイラスト
免責事項

この記事の著者である私は、医療資格を持つ専門家ではありません。本記事の内容は、がん患者としての実体験、医療従事者への質問、国立がん研究センターの情報などを基にまとめたものです。医学的な診断や治療のアドバイスを行うものではありません。ご自身の治療については、必ず担当医にご相談ください。

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