2025年3月、大腸がんステージ4と診断されました。肝臓全体に転移していて、手術も放射線治療もできない状態でした。医師に聞いた余命は、抗がん剤治療をしなければ半年。
2026年10月現在、抗がん剤治療を33回終えて、毎日自転車で30〜40km走っています。
この記事は、余命の統計を解説するものではありません。余命を告げられた人間が、そのあと実際どうなったのかの記録です。
大腸がんステージ4と診断された日(2025年3月)
紹介状を持って、地元の総合病院に行きました。
午前の診察が終わる間際でしたが、受付の方が「すぐに検査した方がいい」と、その場で手配してくださいました。血液検査、CT撮影。結果が出るまで、廊下で妻と待っていました。
名前を呼ばれて診察室に入ると、医師がCT画像を見せてくれました。肝臓全体が、シミだらけでした。


このシミはがんです。
続けて、こう言われました。



手術、放射線治療はできません。抗がん剤での治療となります。
血便が出ていたので、がんの可能性はゼロではないな、と多少は覚悟していました。でも、命に関わるくらいまで悪かったことは想定外でした。
すかさず妻が質問しました。
「ステージはいくつになるんですか?」



ステージ4です。
ズドンと、何かが身体の中を突き抜けた感じがしました。言葉が何も出てこない。驚くほど冷静、涙も出てきませんでした。
妻は小声で「ああ」といったように聞こえました。
肝臓全体に広がったCT画像を見ても、これは自分のものなのか、そんなにひどいのか、と。
その後も淡々と説明を聞いて、入院の手続きをしました。
これが、診断&入院の日です。
余命を聞いたのは、入院してからでした
余命について聞いたのは、診断された日ではありません。
診断してくださったのは若手の医師、主治医は消化器内科の副院長となりました。そして抗がん剤治療を進める医師は、また別で腫瘍専門の方でした。診断から治療が始まるまでの短い間に、三人の医師が関わったことになります。
余命を聞いたのは、その腫瘍専門の医師です。診察を受けている最中に、私のほうから聞きました。



抗がん剤治療をしなければ半年。これはステージ4の中央値です。抗がん剤治療をすれば1年から2年です。
私の余命というよりは、統計データを告げられた、という感じ。
ただ、そのあとに追加で言われた言葉があります。



○○さんは、ステージ4の中でもかなり進行していますから、半年よりも短くなります。
抗がん剤しなければもう人生は残り僅か・・・。
やらない選択肢はないな。不思議と涙は出ませんでした。
頭の中にあったのは、何気ない日常の情景です。スーパーで「夕飯何にする?」とおしゃべりしながら買い物しているところ。レストランで「美味しいね」と、みんなで笑顔になっているところ。自転車で、気の赴くままに風を切って走っているところ。
もう体験できないのか?
そういう喪失感がハンパない。
入院中、看護師さんが気にかけてくださいました。突然のステージ4の診断、そして緊急入院。



何でも話してください
と声をかけてくださるのですが、まだ受け入れられていなかったのか、何も話せない感じ。
看護師とリハビリ療法士にも聞きました
医師以外にも聞いてみました。専門の看護師の方は、こう話してくれました。



だいたい2年経過したあたりで急に弱ってしまう方が多いです。
抗がん剤が効かなくなったり、副作用で治療を続けられなくなったりする時期と重なるのかもしれません。
リハビリ療法士にも質問しました。



(体力が)弱ってくると、そこからはものすごく早いんです。約2週間くらいだと思ってください。
元気そうに見えても、体力の衰えを感じ始めたら、もう逆戻りはできないようです。
体力を落とさないように、しっかり食べて適度に運動する。耳が痛くなるくらいよく聞く話ではありますけど、がん患者には命にかかわる本当に大事なことなんだと痛感しました。
本当は、抗がん剤治療をやりたくありませんでした
正直に書くと、当初は抗がん剤治療をやりたくなかった。
親戚で集まって相談会。全員が抗がん剤治療を勧めるので、しぶしぶやることにしたのです。
心配していたのは副作用。
- 髪の毛が無くなる、
- 激しい嘔吐、
- 痛み、
- 激やせ・・・etc
テレビドラマでよく見ていましたから。
でも、現実は違いました。
髪の毛は、抗がん剤を始めて3回目くらいで一時的に抜けましたけど、抜け切る手前で止まった感じ。決してふさふさではありませんが、今も床屋に通うくらいは残っています。ドラマで見たようにツルツルに抜け落ちてしまうことはありませんでした。
激しい嘔吐、痛み、激やせ。この3つは、起きませんでした。
※ 私が受けたのはFOLFOX療法+ベクティビックスです。副作用の出方は、薬の種類や体質によって大きく違います。
もちろん、副作用がまったくなかったわけではありません。実際にあったものは副作用の記事に書いています。ただ、私が恐れていた4つのうち3つは起きなかった。
過去の自分に、こう伝えたいです。
抗がん剤は早くした方がいいよ。大丈夫、心配ないよ。
宣告のあと、入院中に何が起きたか
入院生活は、思っていたより慌ただしいものでした。
ステント手術、CVポートの埋め込み、胃カメラ、レントゲン。次々と処置を受けながら、その合間にリハビリと面談をこなしていました。
一度、緩和ケアの医師との面談がありました。リハビリも受けました。右足の動きが徐々に悪くなっていく感覚があって、それがリハビリ療法士の見立てと一致していました。
栄養士の方とも2回ほど面談して、食事のアドバイスを受けました。とはいえ、その頃の食事は小さな飲料パック1つだけ。あとは栄養の点滴です。おかげで体重は5.5kg減りました。
手術やCVポートについてはCVポート埋め込みとステント挿入の体験談に詳しく書いています。
宣告から1年6か月、実際にどうなったか
腫瘍マーカーCEAは2223から3.8、そして10.4になりました
診断時のCEAは2223でした。基準値は5.0以下です。
抗がん剤治療を始めてからの推移です。最初の3か月の下がり方が、いちばん大きかったです。抗がん剤が効いている、ということを数字で確認できた瞬間でした。
途中、2026年5月に3.8から5.1へ上昇したこともあります。数字が上がった瞬間のドキッとする感覚は、治療を受けている人なら誰でも分かると思います。
全42回分の検査データは血液検査の全データに公開しています。
CT画像で見た肝臓の変化
数字だけではイメージしにくいので、CT画像も並べます。黒いシミのように見えるのが、肝臓に転移したがんです。


抗がん剤は33回。血液検査で延期になったのは2回
2026年9月の時点で、抗がん剤治療は33回になりました。
このうち、血液検査の数値が理由で治療が延期になったのは2回だけです。
- 2025年9月16日:好中球975で延期。基準の1000を下回り、感染症リスクのため見送り。翌回には2407まで回復
- 2025年11月18日:総ビリルビン1.2で延期。胆管の詰まりを疑って翌日に腹部エコー検査。結果、胆管に問題はなく、翌週には0.9に下がりました
主治医は決して無理に治療を進めない方で、数値が基準を満たさなければ延期する判断をしてくれます。これが結果的に、33回まで治療を続けられている理由のひとつだと思っています。
治療の経過は治療タイムラインにまとめています。
いまの1日
すでに退職して、治療に専念しています。
運動は自転車です。毎日30〜40km走っています。海外に友達が多くいて、その人たちとオンラインのアプリ(Zwift)で一緒に走っています。励まされています。
がん仲間、リンパ腫の友達ともSNSでつながっていて、互いに励まし合っています。
小中学生の頃に習っていたピアノを再開しました。毎日、スケールとアルペジオの練習です。8月17日にはサントリーホールへ、10月にはプラネタリウムへ推しの菊池亮太さんのコンサートに行ってきました。モチベーションが上がっています。


料理や買い物を含めた家事全般もしています。それから、マンションのメンテナンス。畳の交換、給湯器の交換、エアコンクリーニングと修理、安心して住み続けられるよう、できるうちに済ませています。
いま、つらいこと
副作用がまったくないわけではありません。いまあるのは、肌のかゆみ、口内炎、爪まわりのしびれです。
かゆみは、皮膚科でもらった薬を塗るだけです。かゆみのせいで眠れないこともありますが、仕方ないです。
口内炎は、歯磨きとうがいで清潔を保つようにしています。
しびれは、もうあきらめモードです。歩きにくいですけど、歩けないと困るので、なるべく出かけるようにしています。ご近所さんとおすそ分けをし合ったり、人と関わりを持つようにもしています。
出かけていますが、苦しみながらです
ここは書いておかないといけません。出かけている、と書きましたけど、何度もトイレに駆け込みながら出かけています。
8月17日、東京の豪徳寺と菊池亮太さんのピアノコンサートに出かけた日も苦しみながらでした。
- 最寄り駅でスマホを忘れたことに気づいて家に戻る → お腹が苦しくなってトイレへ(血便)
- 豪徳寺を参拝した帰り → お腹が苦しくなってトイレへ(血便)
- 18時からのコンサート前に外食 → お腹が苦しくなってトイレへ(血便)
いつもこんな具合なんです。外出は、こうやって何回もトイレに駆け込みながらしています。特に食事後は苦しくなります。あとはたくさん歩くとそれもお腹への刺激となって苦しくなります。
血便についてはベクティビックスの副作用の記事にも書いています。
あの時「もうできない」と思った3つのこと
最初の入院の時、ベッドで頭に浮かんだのは3つの情景、
- スーパーで「夕飯何にする?」とおしゃべりしながら買い物、
- レストランで「美味しいね」とみんなで笑顔になる、
- 自転車で気の赴くままに風を切って走る。
実は今、この3つ、どれもできています。
妻と買い物に行きます。外食もします。自転車にも乗っています。ただ、さっき書いたとおり、何度もトイレに駆け込みながらですけどね。それでも、あの日もう体験できないのかと喪失感でいっぱいだったこと、今も体験できています。
同じように宣告された方へ
私の経験から、伝えられることを書いておきます。
余命は、聞かないと教えてもらえないかもしれません。 私の場合、医師から告げられたのではなく、自分から聞きました。知りたい方は、自分から聞く必要があるかもしれません。逆に、知りたくない方は聞かないという選択もできます。
「半年」は中央値です。 統計データにすぎません。目の前の一人の未来を決めるものではありません。現に私はその数字を超えています。
副作用は、薬によって違います。 私はFOLFOX+ベクティビックスで、ドラマで見たような激しい嘔吐や激やせはありませんでした。ただ、これは私の場合です。使う薬が違えば、出方も違います。
体力を落とさないこと。 リハビリ療法士に言われた言葉が、いちばん実感を持って残っています。しっかり食べて、動けるうちは動く。
治療を受けるかどうかは、ご本人と主治医が決めることです。この記録は、判断材料のひとつとして読んでいただければと思います。
まとめ
私が聞いた余命の目安です。
- 抗がん剤治療をしない場合:約半年(ステージ4の中央値)
- 抗がん剤治療をした場合:1年〜2年
- 体力が弱りだしたら:そこから約2週間しかない
- そのうえで「かなり進行しているので、半年より短くなる」
そして、実際に起きたことです。
- 2026年10月現在、余命宣告から1年7か月
- 抗がん剤治療33回
- CEA 2223 → 4.4 → 12.5 → 10.4(2026年10月)
- 毎日自転車で30〜40km
今後のことは誰にも分かりません。分からないからこそ、生きている「今」を大切にして、日々を楽しみ、周りの人を幸せにするような存在でありたいと願っています。
この記事が、同じ悩みを持つ誰かの一助となれば幸いです。
